マンションの外観
マンションて、こんな感じな外に廊下が出てるタイプのものと、廊下は建物の中にあるタイプがある。
私は廊下が外に出てるタイプが好きだ。
理由は夜になると廊下の外灯がいい感じに並んでキレイなのと、赤の他人が帰ってきてドアを開けて入っていくところを目撃することがあるからだ。
都市の営みを感じることができるところが気に入っている。
※写真は散歩中に撮影したただのイメージです。
では、また明日。
関西弁のアイドル、女優というフロンティア
「とりま」について
今さらだけど前から思っていたことを告白する。
もう10年くらい前になると思うが、「とりま」という若者言葉が流行っていたそうだ。
「とりあえず、まあ」の略らしい。
それにしてもセンスのない流行語だなと思っていた。
語感も別によくないし、ひらがなで書いてもダサい。
そして、略す前の言葉がなんだか気持ち悪い。
たぶん会話の中で自然と生まれたのではなく、誰かが一生懸命考えた言葉のような気がするのが気持ち悪さの原因なのかもしれない。
自分が若者だったとしても口が裂けてもこんな言葉使いたくないな。
では、また明日。
昆虫食について
近い将来、人類はバッタやカブトムシの幼虫などの昆虫類を食べていくことになるらしい。(そんな遠い話ではないらしい。)
牛や豚を育てるために排出する二酸化炭素は多いが、昆虫は圧倒的に少なくて済むからだ。
しかも、栄養価も非常に高く、味もおいしいらしい。
欠点は見た目に抵抗がある、その一点くらいらしい。
食べ物は、最初抵抗があるものでも、一度口にしてみておいしかったらその後は平気になるものだ。
なので私も美味しい昆虫食を気軽に食べれる日が来るのを楽しみにしている。
一方、ひとつだけ不思議なことがある。
これまで人類は何度も飢餓や食糧不足に見舞われてた。
道に生えている雑草や葉っぱをかじって生き延びた、という話もよく聞く。
が、なぜそんなときでも昆虫を食べたという話をあまり聞かないのだろう。
いや、きっとその時は食べていたはずだ。
だが、なぜ本当に栄養があっておいしいのであれば、飢饉が終わった後も日常的に食べる習慣が残らなかったのだろう。
その点にたいする腹落ちする答えを聞いたことがない。
では、また明日。
世界史の言葉
出典:wikipedia
世界史の中から大好きな事件や人物を紹介していく。
第一回は「マニフェスト・ディスティニー (明白な天命)」
アメリカはなぜあんなに世界中のことにちょっかいを出しに行って力ずくで自分たちの言うことを聞かせることが正義だ、と信じているのか不思議ではないか。
彼らの歴史は宗教上の理由でピューリタンたちがイギリスから移り住み、その後戦争によって独立。
民主主義を通して国家を作り上げた。
その後、未開の地であるアメリカ大陸を西へ西へとインディアンたちを迫害しながら領土を拡大していった。
この領土拡大を正当化するために「自分たちのキリスト教と民主主義による文明社会を広めることはもはや明白な天命なのだ」と言い聞かせてこれを進めていった。
やがてアメリカ大陸の西の果てまでたどりつき、次はいよいよ太平洋へと進出。
ハワイやフィリピンまで領土を拡大していく。
そのスピリットは世界を一周してもなお続き、自分たちのアイデンティティの根幹になっているわけである。
つまり、ジャイアンが俺のステキな歌声をみんなに聴かせるのはもはや天命である、と信じこんで自主的にコンサートを開催しているようなものである。